最初に…


ハーモニカとの出会い、そして、転落の日々の始まり

人生の転機は予期せぬタイミングにやって来ます。毎日何気なく暮らしていた学生時代に、ハーモニカは何の予告も無く乱入して来ました。

たまたま、当時流行っていたJ. Geils Bandと言うロックバンドのLPを買ったのですが、解説を読むとバンドのメンバーにハーモニカプレーヤーがいると書いてあり「おや?」っと感じたんデス。けれども最初はLPを聞いても、ハーモニカが演奏されているとは分からなかったのですヨ。


でも、ハーモニカが演奏されてました。


サックスとエレキギターの中間みたいな音だったのですぐには分からなかっただけでした。友達に聞くと「子供が吹いてるようなハーモニカで演奏してるんじゃない?」とのこと。妙に新鮮な発見をしたような気分になって、小さな楽器屋で的のはずれた質問をして、なぜかKeyがEのブルースハープ(ハーモニカのことをハープとも呼びます)を買ったところから人生の転落が始まりました。今でもその楽器屋はあるのですが、何で初めてハープを吹く人にEのKeyを勧めたのかは謎のままです。最初はCがいいですよ!




左:かなり切れてた?幼少の頃 ( 現在外見は変わったものの中身は大して変化していません)
右:よせばいいのにブイブイ唄も歌う

それまでのブカブカ?と言うイメージと違った素晴らしいサウンドに惹かれて、少しずつ自分で練習するようになりました。後から分かったのですが、ハーモニカをギターアンプにつなげて歪んだサウンドで演奏する方法があったのです。

以前はハーモニカに関する情報は少なかったのですが、学校の友達とバンドらしいものを始めたり、数少ないプロのハーププレーヤーのMさんのワークショップへ2年程通ったりして、少しずつ世界を広げ転落が始まりました。

ハーモニカを吹くにあたって、"転落"は大事なキーワードだと思ってます。


「転がる石には苔が付かない“A rolling stone gathers no moss”」も、昔は苔が付かない石は価値が低いとされていたのが、最近は苔が付かない方が良い石との解釈に変わっています。


ベンキョーなどせずに学校を卒業したものの、ハーモニカは卒業できず、身の程じゃなくて、諦めを知らぬ音楽活動は続きます。良いバンドメンバーに恵まれて、87年にハーモニカコンテストで優勝したのですが、バンドは解散。88年に東京から大阪へ引っ越し、年上の関西のミュージシャン達に手厚く可愛がって貰いました。91年には東京へ戻りましたが、まだまだ卒業できません。最初はライブハウスにこだわってましたが、無縁だったバブル時代のバンドブームすら過ぎ去ってしまい活動場所を追われ、飲み屋・商店街のお祭り・路上での演奏も続きました。出会いが続くとブルースフェスティバルの前座にゲストで呼んで貰えるようなこともありました。




パークタワーブルースフェスティバル'95 プレステージにて


TV コマーシャルの録音をすれば、自分の音がミキシングでカットされたり、ガンガンにハープがなっているCMはめったに放映されなかったりと言う良くあることも経験できました。転落と言うかハーモニカを吹いていると色んな所へ転がります。


転落はさて置き、アンプで鳴らす独特のハーモニカのサウンドをずっと追い続けて、97年からアメリカ・NYで生活するようになりました。

誰も知り合いのいなかったNYでは、ブルースクラブのセッションへ顔を出すことから始め、バンドに潜り込んでステージに出たりしました。様々な出会い・その他もろもろを繰り返す内、ハーレムのアポロ劇場でハーモニカを吹く機会にも恵まれました。そして、約5年のアメリカ生活を経て、2002年に帰国、自分のサウンドを探すため、新しい活動を始めています。。。